鈍さが殺す

この世界にいない者まで揺らす歌、聞いたから、僕はびっくりして息もしていなかった。祈るように聴いてた。CDでは全然わからなかった。ライブの必要性を僕は感じた。CDには音は録音されても、空気やその場のエネルギーなど全ては入らない。音楽媒体は便利で遠くまで曲を届けることができるわけだし、普及したし、便利。けれど、実際の生の音楽とはやっぱり違うのだなと気付く。このこと故に、(既にそうなのだけれど)ライブでしかわからないことが価値として重視されていくんだなと思う。一方で、丹誠込められたものを、味わう行為の欠乏と現代社会を想う。



味わう行為。丹誠込められたものを、味わう行為をしている?何かをよく観察するごとに、何かに気付く度に僕は自分の鈍感さに気付いて、けれど、この発見は体験するまで気付かなくて、宣伝のように主張もしてこなくて。それがホントの強さとか優しさなんだと思うと、自分の鈍感さに嫌気がさしたりする。



一点もののお洋服も、職人が作った作品も、手作りの料理も、展覧会も、同じだと思う。味わう行為を忘れてしまうと、なんでも良くなってしまう。味わうことで初めて丹誠込められたものと、そうではない工業化されたものの差に気付く。すべてがなんでもよい生き方を想像すると怖い。それを続けていると生きてることがわからなくなりそう。そうして自分が誰かもわからなくなってしまいそう。何か1つでも。1つでもあれば。