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日曜の朝はコーヒーの香り。家族のそれぞれが自由なタイミングで階段から居りてくる。足音で、起きたのは誰か聞き分けることが出来る。階段を下りてくるとき、どれくらい朝食が出来ているのかがわかる。包丁やオーブントースターの音。パンケーキや湯気の上がったウィンナーの香り。そしてコーヒーの香り。飲み物を入れるのは一番最後と決まっていた。階段の終わりの一段を降りたらみんなへ朝のあいさつをする。朝食を作るのはたいてい母か、気が向いた誰か。何人かで用意する。この家には7人が暮らしていた。


居間のステレオは音楽を絶やさない。選曲するのはほとんど父の役目だった。天気や気分、季節によって選曲になんとなく傾向があることに私は気づいている。同じ空間に住むと言うことは、それだけで人についての発見があり、飽きることがまるでない。そういえばあるクリエイターが、仕事に何か行き詰まリを感じたら暮しに戻ることを意識している、というようなことを言っていた。その考えに私はスコンときた。もし暮らしがその人にとって安心できる場であるならば、この方法は素晴らしい手だなと思う。家庭は平凡かもしれないが、すこしの視点で平凡の中にも大切なことを発見できる。家の中での大切なことは、どこに行っても大切なことであったりするのに、なぜか時々すっかり忘れてしまうのだ。それはきっと、クリエイターにとっても大切なことなんだろう。暮らしは当たり前のような大切なことを取り戻せる空間だ。


1人の部屋でジョニーミッチェルのCloudsを流しながらそんなことを思い出したリした。雑記。